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セルゲイ・プロコフィエフ



基本情報

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情報更新:2019/03/31

アーティスト/イメージ(アルバムなど)

左画像:

Sergei Prokofiev,セルゲイ・プロコフィエフ

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アーティスト概要

1891-04-27:ロシア帝国エカテリノスラフ県(現:ウクライナ[国]ドネツィク州)生まれ。誕生日は本人死去後に訂正(本人記憶:4月23日/後日訂正:4月27日)、誕生名「英語表記:Sergei Sergeyevich Prokofiev」で作曲家,指揮者,ピアニストとして活動。1918年には亡命途中に約2ヶ月の来日があり、日本で知られる楽曲も多くありますが、ロシア革命,第二次世界大戦により様々な国へ移住しています。


メモ

ロシア革命により、1918年米国亡命を決意。その過程で5月31日(敦賀港)から8月2日(横浜港)まで日本各地に長期滞在、7月6日,7日東京、9日横浜でピアノ・リサイタルを開催。離日後は米国西海岸サンフランシスコ市に上陸、同年9月東海岸ニューヨーク市へ到着、米国での活動を開始。
1922年3月現ドイツ連邦バイエルン州バイエルンに移り、1923年からフランス共和国パリ市に移住。
1936年からソヴィエト連邦モスクワ市に定住しますが、第二次世界大戦において、1941年8月から「カバルダ・バルカル共和国(後年:ロシア連邦)」に移住、更に「グルジア・ソヴィエト社会主義共和国(後年:グルジア共和国~ジョージア[国])、「カザフ・ソヴィエト社会主義共和国(後年:カザフ共和国)」などに移住、大戦後にソヴィエト連邦に戻っています。


メモ

参考画像下
※中央「Sergei Prokofiev/セルゲイ・プロコフィエフ」、右「大田黒元雄/おおたぐろ・もとお」、左の女性声楽家「広田ちづえ/ひろた・ちづえ」は1918年既に「大田黒元雄」と結婚(撮影:1918年7月2日浅草花月堂)


関連画像

参考画像-1


アーティスト:死亡記事

1953-03-05:ソヴィエト連邦モスクワ市にて死去(脳出血に起因する呼吸不全)。同日3時間前にはソヴィエト連邦最高指導者「Joseph Stalin/ヨシフ・スターリン」が死去。「セルゲイ・プロコフィエフ」の自宅は「Kremlin And Red Square/赤の広場」の近くだったこともあり、同国作曲家組合の本部葬儀も3日遅れ、モスクワ市「Novodevichy Cemetery/ノヴォデヴィチ墓地」に埋葬されています。







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