ティト・プエンテ



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情報更新:2010/12/23

別日本語表記/同名区分/別名/リーダーバンド/プロジェクト

Tito Puente Sr. (ティト・プエンテ・サー)
Sr. Tito Puente (サー・ティト・プエンテ)


アーティスト/イメージ(アルバムなど)

左画像:

エッセンシャル・ティト・プエンテ
Tito Puente,ティト・プエンテ

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アーティスト概要

1920-04-23:米国ニューヨーク市生まれのプエルトリコ系米国人。誕生名「Ernesto Antonio Puente Jr.」,後に通称「Tito Puente Sr.」でも知られ、ラテン・ミュージシャン(ティンバレス・ビブラフォン・キーボードなど),作詞・作曲・編曲家、及び「Tito Puente & His Latin Ensemble」などのバンドリーダーとして活動。ラテン・ジャズ,マンボ,チャ・チャ,ボサノバ,サルサなどあらゆるラテン音楽に大きな影響を与えています。


メモ

少年時代からパーカッション・ピアノなどを始め、第二次大戦では徴兵がありましたがジュリアード音楽院通学を許可されています。戦前から複数バンドで活動していましたが、1948年「Tito Puente Orchestra」を結成してシングル「Abaniquito」でデビュー。1949年自ら作詞・作曲した「Ran Kan Kan/ラン・カン・カン」は時代を超えたヒット曲となっています。


メモ

また1963年に作詞作曲した「Oye Como Va/僕のリズムを聞いとくれ」は、1937年「Israel Cachao Lopez」が作詞・作曲した曲ともされた曲ですが、「Tito Puente/ティト・プエンテ」バージョンでポピュラーとなり、1970年には「Carlos Santana/カルロス・サンタナ」率いる「Santana/サンタナ」がカバーして米国13位などを記録しています。


メモ

グラミー賞では1983年「On Broadway」、1985年「Mambo Diablo」、1990年「Lambada Timbales」、3回の「Best Tropical Latin Performance」を受賞など、1978年から2000年にかけて通算6回(1回コラボクレジット)受賞。
また2003年には生涯活動が対象となり、グラミー賞「Lifetime Achievement Award」も受賞しています。


アーティスト:死亡記事

2001-06-01:米国ニューヨーク市にて死去(心臓疾患)。
死去後は「Tito Puente Sr.」で表記される場合も多くあり、1971年6月2日生まれの息子「Tito Puente Jr.」は、同クレジット(Jr.付)でミュージシャン,プロデューサーとして活動しています。


関連アーティスト情報

Alegre All Stars
アレグレ・オール・スターズ

1956年(結成/活動)

米国ニューヨーク市ブロンクス区「Alegre Records/アレグレ・レコード」によるラテン・プロジェクト。レコード店舗経営者でミュージシャンの「Al Santiago/アル・サンティアゴ」、衣料関係のビジ ... 続きを読む

情報更新:2015/12/03


Santana
サンタナ

1947/07/20

メキシコ(ハリスコ州)アウトラテン・デ・ナバロ生まれ,1962年米国カリフォルニア州サンフランシスコ移住。本名は「Carlos Augusto Alves Santana」でギタリスト,バンドリーダーとして活動。続きを読む

情報更新:2008/10/30


関連アーティスト情報/ファミリー

Tito Puente Jr.
ティト・プエンテ・ジュニア

1971/06/02

米国ニューヨーク市生まれのプエルトリコ系米国人。ラテン・ジャズ及びアフロ・キューバン系の作詞・作曲・編曲家,プロデューサー,リミキサー,ミュージシャン(ティンバレス・パーカッションなど ... 続きを読む

情報更新:2010/12/23







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