基本情報
米国,英国及び専門チャート(11)
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情報更新:2010/04/19
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She's So Good: The Best of Eartha Kitt
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1927-01-17:米国サウスカロライナ州コロンビア生まれのアフリカ系米国人。誕生名「Eartha Mae Keith」で女優(映画・舞台・TV),ジャズ・ポピュラーシンガーとして活動。1945年から2007年(死去前年)まで第一線で活躍を続け、少なくとも10言語以上でレコードをリリース、日本も含め100ケ国以上でコンサートを行った世界的エンターテイナー。
1945年ブロードウェイ「Blue Holiday」,1948年映画「Casbah」などを経て、1952年ミュージカル「New Faces Of 1952:1952/5/16--1953--3/28」での歌唱が認められ歌手デビュー。2枚目のシングル「Uska Dara (A Turkish Tale)/ウシュクダラ」が12万枚セールス、次曲「C'est Si Bon/セ・シ・ボン」は米国8位を記録、更にミュージカルは1954年「New Faces」として映画化され歌手として世界的な人気を得ます。
「Uska Dara」は元々はトルコ民謡で「C'est Si Bon」もオリジナルではありませんが、日本でも共に「Eartha Kit」バージョンが当時のラジオ局チャートでヒットを記録。日本では「Uska Dara」を邦題「ウスクダラ」として「江利 チエミ」がカバー。「C'est Si Bon」も日本では「高島 忠夫」などがカバーしてシャンソンの代表曲となります。
1955年にリリースした「Sho-Jo-Ji (The Hungry Raccoon)/ショー・ジョー・ジ」は、「野口 雨情」作詞,「中山 晋平」作曲の「証城寺の狸囃子」をアレンジした楽曲として知られています。1989年には「Eartha Kitt & Bronski Beat」のコラボクレジットで英国でチャートヒットを記録。英国では死後もクリスマスソング「Santa Baby」でチャートヒットを記録するなど息の長い人気を維持しています。
2008-12-25:米国コネチカット州ウェストンにて死去(直腸結腸ガン)。1960年音楽部門で「Hollywood Walk Of Fame:ハリウッド名声の歩道」に加えられ、ミュージカル女優としてもトニー賞で1978年主演女優賞にノミネート、2000年助演女優賞にノミネートなどがあります。
1988年(結成/活動)
米国の「Eartha Kitt」,英国の「Bronski Beat」によるコラボレーション。「Cha Cha Heels」及びB面他1曲を録音、英国では翌89年にシングルリリースされ32位を記録しています。続きを読む